且消且結録

久しくとどまりたる例なし。

東大現代文「一九八六年度 第一問」

第1 序

1 東大現代文の「対決」

 先日(9月8日),旧Twitter上で,標記の問題を題材とした現代文科目の「対決」が行われた*1。当事者は「東大現代文の王」氏と「ゆっくり法律」氏の両名で,採点者は「東大国語研究会」氏が務めた。両名は,同対決に至るまでに,東大現代文の解法について刺激的な対話を行っていた*2*3

 同対決のあと,各氏が作成した解答及び解説*4*5*6が公開されている。

2 本稿の趣旨

 三者三様の侃々諤々の議論を目にして,自分も試しに取り組んでみたくなった。そこで,御三方と同様に,本問*7の解答及び解説を作成し,これを公開することにした。

 また,「評釈」の項を設け,前記対決の当事者である両氏の許可を得て,両氏の解答に対する採点及び簡単なコメントも付記することとした。

 解説では,本問を解くにおいての思考の流れや視線の動きをできる限り,詳細かつ明解に開示するよう,心掛けた。もちろん,実際に本問を解いた際には,もっと複雑で混乱した思考や,ある種の閃きのようなものを通じて,解答に想到している。そのような実際のところを開示する方が,受験生においてはより有用であるのかもしれないが,本稿は受験指南をする趣旨ではないので,整理された形で提示した。

3 本論に入る前に

 本稿の読者におかれては,以下の解説,また上記当事者の解説を読む前に,ぜひご自身で本問(ただし,改変前のもの。)に取り組んでみてほしい。方針を立てるだけで十分である。その上で,それぞれの解説における思考回路の開示を,いきいきと追体験していただきたい。

第2 小問1

1 問い

「合理化の未完成ではなくて合理化が絶対に不可能であるような非合理」(傍線部ア)とあるが,筆者の言う「合理化の未完成」は「非合理」とどう違うか,説明せよ。

2 答え

 「合理化の未完成」は、「合理性」に帰結し得て,その完全性を侵さない点で、それに帰結し得ず、同完全性を侵す「非合理」と違う。(61文字)

3 答えに至る思考過程

 (1) 傍線部を読解する

 第一に,傍線部アの「非合理」にかかる「合理化が絶対に不可能であるような」という修飾は,合理化が可能である「非合理」という逆説が本文に登場しない以上,「非合理」の一部を指示するものではなく,「非合理」の説明と解するのが相当である。よって,「非合理」は「合理化が絶対に不可能」という要素があると分かる。

 第二に,「合理化の未完成ではなくて合理化が絶対に不可能であるような」という記述からすると,「合理化の未完成」は,「合理化が絶対に不可能」の逆である「合理化が可能」という要素があると分かる。この点は,「未完成」という事柄が,通常,完成を見込む観念を前提とすることと符合する。

 以上は,「合理化の未完成」と「非合理」の対比を成す(この点は,後記〔要素1〕に対応する。)。

 (2) 傍線部を含む一文を読解する

 第三に,傍線部のつづきを読むと,「合理化の未完成ではなくて」「非合理」が「いやしくも存在するということは,その合理性が完全な意味での合理性ではなく,それ自体合理性に反するような欠陥を含んでいることを意味する。」とあり,「合理性」について,完全性という観念が関わるものとして提示されており,また,筆者において,完全なものとしての「合理性」との関係で,「非合理」と「合理化の未完成」が区別されていることが分かる。この点に留意して,また,上記の対比も意識して,傍線部アを含む第1段落第3文を読解するに,次のような論理の流れが把握できる。

 〔〔合理化が可能〕である「合理化の未完成」と異なり,「非合理」は「合理化が絶対に不可能」であるから,「非合理」が存在すると,「合理性」について,完全なものとして観念したのに,実は完全ではない(いわば〔不完全な完全〕)という欠陥があることが,暴露されてしまう。〕

 かかる読解は,第1段落第2文で,「非合理」が「合理性」と「原理的に相容れない」とされていることと整合し,また,第1段落第4文で同欠陥が「致命的」と形容されていることと整合する。ちなみに,本要約のうち「暴露」という表現は,第1段落1文目で,「合理性」が「安らかに正常性の地位に君臨しているはず」とされていることを踏まえている。また,本要約のうち〔不完全な完全〕という表現は,傍線部アの直後にある「それ自体合理性に反するような欠陥」という表現を踏まえている。

 ここから,〔不完全な完全〕という欠陥を暴露するか否かという点での「合理化の未完成」と「非合理」の違いが読みとられ,これが傍線部アを含む一文の本旨といえ,小問1の解答の核心となる(この点は,後記〔要素3〕に対応する。)。また,かかる本旨と上記対比との論理的な関係を考えるに,〔「合理性」に完全性の観念が関わることを前提として(よって,この点を〔要素2〕とする。),上記対比にかかる違いから,〔不完全な完全〕という欠陥を暴露するか否かという違いが生じる。〕という構造があると解される。

 小問1の解答は,以上の理解を対比の形式で示す。なお,上記の解答では,〔要素2〕と〔要素3〕については,〔「合理性」の完全性を侵す〕という最小公倍数的な表現を用いて,端的に記述することとした。

 (3) 他にも要素がないか検討する

 第四に,第1段落からは,〔「非合理」は不安を惹起するが,「合理化の未完成」はそうではない。〕旨の対比も読み取られる(ちなみに,第5段落最終文には「一応の安心感」とあるが,安心感が「一応」のものであるのは,「非合理」が不安を惹起することの帰結である。)。しかし,〔不安を惹起するか否か〕と〔上記欠陥を暴露するか否か〕は,結果-原因の関係にあり,前者は後者の帰結にすぎないといるから,論理の分析としては後者の指摘が肝心である。さらに,前者のみから後者を導けないことからすれば,同対比を〔要素3〕に代わる別解とすることはできない。

 この点,「東大現代文の王」氏は,次の引用のとおり解説し,むしろ同対比を解答の要素とする。しかし,そのように考えるべき根拠は,十分に示されてない。ちなみに,欠陥を含むのは「非合理」ではなく「合理性」であるから,本引用の第2文は誤読である。この点を措くとしても,〔不安を惹起するか否か〕という対比からは,〔「合理化の未完成」は安心を喚起する。〕という理解を論理的に導くことはできず,これを特に認めるべき根拠も見当たらない。

 「合理化の未完成」と「非合理」の違いは,まさにそれは人間への干渉の点で異なっていると考えられます。なぜなら「非合理」が欠陥を含んでいるために人を不安にさせるとありますが,「合理化の未完成」は欠陥を含んでいないわけです。ということは,人を安心させると導けると思います。人間の内面操作への言及が必須であり,これこそが筆者の言う2者の決定的な違いなのだと考えられます。

「東大現代文の王」氏

 (4) 解答化にあたり,表現を吟味する

 第五に,「合理性」は,上記のとおり完全性の観念が関わるものとして提示されているところ,これは合理性という言葉の辞書的な意味を超えるから,カギ括弧つきで用いることとした。以下,「非合理」や「合理化」についても同様である。

 第六に,「合理化」は「合理性」を用いて言い換えた方がスマートと思われ,解答のとおり「「合理性」に帰結する」と表現する工夫をした。

4 採点基準等

 (1) 難易度

 小問1は,傍線部アの前後を読解するだけで解答が得られるから,難易度は「易」とする。

 (2) 採点基準

  • 〔要素1〕前者は「合理化」が可能だが,後者は絶対に不可能。(2点)
  • 〔要素2〕「合理性」は,完全性という観念が関わる。(2点)
  • 〔要素3〕前者は「合理性」の欠陥を暴露しないが,後者はする。(4点)
  • ※「合理化の未完成」と「非合理」の対比の形式を欠くものは,採点しない。

5 評釈

 (1) 「東大現代文の王」氏の解答

 合理化の未完成は,非合理が原理的に合理化が不可能であるために人を不安にするのに対し合理化の可能性を含み安心できる点で違う。

  • 〔要素1〕は,押さえられている。
  • 〔要素2〕は,押さえられてない。「原理的に合理化が不可能であるために人を不安にする」という指摘は,〔要素2〕にかかる前提(第三を参照せよ。)が欠落しており,論理的に不完全である。
  • 〔要素3〕は,押さえられてない。「不安」にかかる指摘が別解とならないことは,第四で論じたとおりである。
  • よって,「2点」である(8点満点)。

  (2) 「ゆっくり法律」氏の解答

 「合理化の未完成」は合理化が可能であるがそれに至っていないのに対し,「非合理」は合理性に致命的欠陥があるゆえ本来的に合理化が不可能である。

  • 〔要素1〕は,押さえられている。
  • 〔要素2〕は,押さえられてない。
  • 〔要素3〕は,押さえられてない。
  • 前段で「それに至っていないのに対し」とするならば,後段でも,例えば「本来的に合理化が不可能であり,それに至り得ない。」とする方が,対比が意識されて好ましい。
  • 後段の「合理性に致命的欠陥があるゆえ」は,「致命的欠陥がある」という述語に対応する主語が,直前の「合理性」なのか,その前の「非合理」なのか確定せず(二義を許している。),問題がある。この点,「ゆっくり法律」氏による解説には次の引用の記述があり,後者と解される。しかし,欠陥を含むのは「非合理」ではなく「合理性」であるから,誤読である。ちなみに,前者と解したとしても,文意に沿う解答になるわけではない。

 非合理=合理化が絶対に不可能=それ自体合理性に反するような欠陥(=致命的欠陥)を含むこと=このような原理的・本質的な非合理

「ゆっくり法律」氏

  • よって,「2点」である(8点満点)。

第3 小問2

1 問い

 「いわゆる『合理性』のひとかけらすら備わっていなかったのだ」(傍線部イ)とあるが,このように言えるのはなぜか,理由を説明せよ。

2 答え

 自然の「合理性」は,人間による科学的な把握に由来し,自然そのものの性質ではなく,むしろ自然は,本来,「非合理」なものだから。(62文字)

3 答えに至る思考過程

 (1) 方針を立てて,手がかりを探す

 第一に,傍線部イという述部に対応する主語は「自然そのもの」である。傍線部イにかかる「自然そのものには,すくなくともそれが人間の野心によって征服される以前においては,」,あるいは直後の「自然が今のように合理的・法則的な外観を呈しているのは,それが人間の支配のもとに屈服しているかぎりでのことなのである。」という記述を参照するに,「自然そのもの」とそうではない「自然」との違いは,〔人間による支配〕に服しているか否かによることが明らかである。そうすると,ここで「自然そのもの」という観点が導入されているのは,〔人間による支配〕と「合理性」に何らかの関係があるからだ,と推認される。

 第二に,そこで,その関係を探るに,傍線部イの直前に「この支配を合法化し,これに絶対的な権限を与えるために,私たちの頭脳が作り上げた非常大権ともいうべき律法が,ほかならぬ合理性である。」とあり,「合理性」は,人間が自然を「支配」するにおいて作出されたものとされていることが分かる。そうすると,〔人間による支配〕に服していない「自然そのもの」が「合理性」と無縁であるのは当然であり,かかる論理は,本問の解答の要素となり得る(以下「本問論理1」とする。)。

 (2) 要素不足の可能性に気づき,手がかりを探す

 第三に,傍線部イには「ひとかけらすら」という強調文言が含まれるところ,筆者が敢えてこのような強調文言を挿入した趣旨については,一考を要するところである。第二で発見した論理が全てであるならば,このような表現をするだろうか。そこで,より広い視野で,本問の手がかりを探してみることにする。

 そうすると,第5段落第1文に「自然の本性は,実は合理性とはなんのかかわりもないもの,むしろ非合理そのものなのだった。」とあり,傍線部イと同旨が主張されていることが分かる。そして,同文の前段は上記論理と符合する一方,後段は,自然は「非合理」であるという異なる観点によることが分かる。小問1の検討結果を踏まえて読解するに,ここでは,〔自然そのものは,「合理性」と無縁であるどころか(単に「合理性」と無縁というだけなら,「合理化の未完成」である可能性も残る。),それ自体として「合理性」の完全性を侵すような「非合理」である。〕ということが述べられている(そして,第5段落では,その根拠の例示として,〔自然は偶然に存在する。〕ということが指摘されている。)。このような「自然そのもの」は,明らかに「合理性」を備えるはずがないといえるところ,これは,上記論理とは異なる論理である。

 よって,かかる論理は,本問の解答の要素となり得る(以下「本問論理2」とする。)。

 (3) 解答に含めた点が真に要素となるか検討する

 第四に,自然そのものについて,合理性と無縁だとしても「非合理」であるとは限らないが,逆に「非合理」だとしたら合理性と無縁なのは当然とも考えられるところ,そうすると,本問論理1は,本問論理2に包摂されるものとして,解答で述べるに及ばないとも考えられる。しかし,「合理性」が〔人間による支配〕に由来するという要素は,自然が「非合理」であることそれ自体から直接,導くことはできず,よって,本問論理1は,本問論理2に完全に包摂されるものではない(小問4で論じる内容を踏まえていうと,本問論理1は〔虚構〕,本件論理2は〔皮相〕に関わるものであり,異なる事柄である。)。上記の第5段落第1文において,前段と後段が「むしろ」で接続されており,一定の独立性のある2つの観点から,同文及び傍線部イにかかる主張が行われている(これが例えば「すなわち」である場合と比較してみると,分かりやすい。)ことは,かかる判断を裏付ける。よって,上記の考え方は採用できない。

 よって,本問論理1と本問論理2は,いずれも解答において言及すべきである(前者を〔要素1〕とし,後者を〔要素2〕とする。)。

 以上で,本問の解答の骨格が定まった。

 (4) 要素を意識した表現に修正する

 第五に,本問論理1に関して,〔人間による支配〕という表現は,筆者の評価を含んだ比喩であるところ,同評価は上記いずれの論理とも無関係であるから,これを削ぎ落とした表現に言い換えたい。この点,第2段落第1文の「現代という時代が科学の名のもとに絶対的な信仰を捧げている合理性」という記述に着目するに,第2段落において,法にまつわる種々の比喩を散りばめて筆者が描出している事柄(なまの事実)は,要するに,〔人間が自然を科学的に把握すること〕だと分かる。よって,同表現は,〔人間による科学的な把握〕と言い換えることにする。

 この点は,比喩をそのまま用いることで温存される意味が,問いとの関係で余事記載となり,好ましくないという趣旨である。もっとも,上記の言い換えなしには解答の趣旨が不明確になる,というわけではない。同余事記載は有害的とはいえず,許容されると考える。

 (5) 解答化にあたり,表現を吟味する

 第六に,本問論理1を解答化するにあたり,本文に忠実に「自然そのもの」を主語とすることも考えられたが,〔自然の「合理性」〕を主語として,「自然の「合理性」は,人間による科学的な把握に由来し,自然そのものの性質ではな」い,と整理するのが,収まりがよいと判断した。

 なお,このうち「自然そのものの性質ではな」いとする部分は,「人間の科学的な把握に由来する」と重複する余事記載のようにもみえるが,本問論理1の趣旨を明確にする上で有益と判断した。

 ちなみに,ここで「合理性」が自然の性質として(自然本来の性質であるかはともかくとして。この点をまさに小問2で論じている。)提示されていることは,傍線部イの「合理性」にかかる述語として「備わっていなかった」とあることから明らかであり,以上の検討でも,暗黙の前提としている。この点は,採点基準にも反映した。

 第七に,本問論理2の趣旨を明確にするにおいては,「非合理」について,「「合理性」の完全性を侵す」という説明を付したいところだったが,小問1の解答に表れていることもあり,文字数との関係で割愛した。

4 採点基準等

 (1) 難易度

 小問2は,傍線部イの前後の読解に加えて,少し離れた文も手がかりとして,妥当な解答を模索する必要がある。もっとも,このような操作を要することに気づく契機は,傍線部イに含まれている。

 よって,難易度は〔標準〕とする。

 (2) 採点基準

  • 〔要素1〕「合理性」は〔人間による支配〕に由来する。(4点)
  • 〔要素2〕自然は,本来,「非合理」である。(4点)
  • ※「合理性」が自然の性質であることを踏まえないものは,採点しない。

5 評釈

 (1) 「東大現代文の王」氏の解答

 自然は存在自体が偶然であり,その限りで自然の本性が合理性と真正面から対立する非合理なものであるから。

  • 〔要素1〕は,押さえられてない。
  • 〔要素2〕は,押さえられている。
  • 「非合理」について,第5段落最終文の表現を用いて「合理性と真正面から対立する」としている。しかし,この表現だけでは,筆者がいう「非合理」を捉えきることはできず,安易なコピペにとどまっている。小問1=第三で論じたとおり,「非合理」の固有性は,完全性をもつものとしての「合理性」の欠陥を暴露することにある。同表現についていうと,そのような意味で「真正面から対立する」といえる,というところまで踏み込まなければならない。
  • よって,「4点」である(8点満点)。

  (2) 「ゆっくり法律」氏の解答

 合理性は人間が自然を支配するために作り出した道具であり,自然は本来は非合理・偶然に満ちた存在だから。

  • 〔要素1〕は,押さえられている。
  • 〔要素2〕は,押さえられている。ただし,「ゆっくり法律」氏は,解答の後段について,次の引用のとおり解説しており,第三で示したような検討を経たわけではないようである。

 若干説明不足というか論理の飛躍があるような気がしたので,自然の本質(非合理)が何かということを付け加えました。しかしこれはトートロジー(自然は非合理ゆえに合理性はなかった)ぽくもあるので,あまりきれいではありません。他に良い解答が思いつかなかったので,これで書きました。

「ゆっくり法律」氏

  • 〔要素1〕について,「自然を支配」「道具」という比喩を用いるが,特に弊害は認められない(この点に関して,第五を参照せよ。)。むしろ,「道具」という比喩には,〔人間以前には存在しないこと〕,〔人間の営みに由来すること〕が含まれており,本問論理1を明快に提示する有益性が認められる。巧みな表現として評価できる(ただし,傍線部イの「備わっていなかった」という表現と結びつきにくい,という難点はある。)。なお,「東大現代文の王」氏は,次のとおり評釈しており*8,見解を異にする。

 ゆっくりさんの解答にある道具は比喩であるため直したほうが良いでしょう。

「東大現代文の王」氏

  • よって,「8点」である(8点満点)。

第4 小問3

1 問い

 「囚衣」(傍線部ウ)とあるが,何の比喩として使っているか,説明せよ。

 なお,解答枠は1行とのことである。

2 答え

 人間による「支配」を演出し,自然の「非合理」を隠蔽する「合理性」(32文字)

3 答えに至る思考過程

 (1) 解答の大枠を確定する

 第一に,傍線部ウの「囚衣」には「この」という指示語が付されており,その指示対象を探すに,「人間が仕立ててくれたこの囚衣」とぴったり対応する「(人間が)拾い集めて編み出したもの,それが「合理性」といわれる組織」という表現が,直前にある。両者を対比すれば,ここでいう「囚衣」が〔(囚衣のような)「合理性」〕の比喩であることは明らかである。よって,これを解答の大枠として特定できる(この点を〔要素1〕とする。)。

 なお,この「合理性」が自然の性質であることは,小問2=第六で確認し,小問2の解答に織り込んだとおりである。この点は,本問の解答では明示するには及ばないと判断した。

 (2) 方針を立てる

 第二に,〔囚衣のような〕とはどういうことか。ここで筆者は,「合理性」を〔囚衣〕になぞらえることによって,「合理性」について,①それまでに開示された主張を要約・強調すること,②新たな文脈を付与して,主張を展開すること,を企図していると想定される。①は〔言い換え〕によるものといえ,傍線部ウの前を参照して検討する。②は〔類比〕によるものといえ,傍線部ウの後を参照して検討する。

 (3) 方針に従い,傍線部の前を参照する

 第三に,①についてみるに,「合理性」について,小問2=第一・第二で検討したとおり,〔〔人間による支配〕において自然に対して作出された〕という情報が開示されているところ,他方で〔囚衣〕は,刑事収容において受刑者が着用を強制される衣服であるから*9,〔抑圧的な処遇(一方の優越性を前提とし,他方に対する強制的な要素を含む処遇)において強制的に付加される〕という共通項により両者は関連し,筆者において,このような意味合いを印象づけるべく,「囚衣」という比喩が導入されたと考えられる(〔要素2〕とする。)。

 (4) 方針に従い,傍線部の後を参照する

 第四に,②についてみるに,「囚衣」という比喩をもって主張が展開されていると考えられる傍線部ウの直後を参照するに,自然が「囚衣」を着た結果として,「自然は無邪気に満足し,この合理性の着衣を誇りにすら思うようになった。自然は人間に対して忠誠を誓い,人間に対して喜々としてその合理性の姿を示し,ついには人間も自然もともどもに,自然とは合理性の別名であるかのような錯覚におちいってしまった。」とある。さらに,つづく第5段落では,「自然自身すらとうの昔に忘れ去ってしまったかに見える自然の本性」(第5段落第1文)としての「大いなる偶然性・非合理性」(第6段落第1文)が主題となっている。このような主張の展開に「囚衣」という比喩が寄与しているならば,その点も明らかにする必要がある。

 そもそも〔類比〕とは,未知の事物であるターゲットを,既知の事物であるベースと関連づけ,ベースの情報を,ターゲットの未知の部分へ適用することにより,ターゲットについて知識を得たり,説明を加えたりする方法をいう*10。後段の操作が含まれる点で,〔類比〕は,単なる〔言い換え〕とは異なる。〔囚衣のような「合理性」〕においては,〔囚衣〕がベースであり,「合理性」がターゲットである。前段の〔関連づけ〕については,第三でみたとおり十分であり,後段の〔情報の適用〕について問題となる。上記引用箇所において,〔囚衣〕のいかなる情報が明示的・黙示的に「合理性」へ適用され,主張が展開されているといえるだろうか。

 いったん本文を離れて,囚人服という制度の趣旨や効果について考えるに,1点目として〔受刑者の集団管理を容易ならしめ,刑事施設の秩序を維持する〕という刑事政策な観点,2点目として〔刑事収容において,権力性が実現されている旨の社会的な認識を高める装置として,同作用を維持・強化する〕という社会学的な観点,3点目として〔受刑者のアイデンティティを剥奪し,刑に服しているという境遇を内面化させる〕という心理学的な観点などに想到する*11。このようなアイデアをもって,改めて上記の主張の展開をみるに,2点目と3点目の観点,特に3点目の観点が関連する内容となっている。

 ただし,3点目の観点からの趣旨に含まれる〔境遇を内面化させる〕については,その対象が〔こころ〕を有することが必要であり,筆者は自然を擬人化しているものの,自然が〔こころ〕を有するとは観念していないから,この点は措く。

 そうすると,〔権力的な作用を維持・強化する装置〕,〔アイデンティティを剥奪する〕という情報が,〔囚衣〕から「合理性」へ黙示的に適用されていると解され,この限りで,「囚衣」という比喩は,単なる〔言い換え〕にとどまらない〔類比〕によって,主張の展開に寄与していると考えられる。そこで,この点も解答に織り込むことにする(前者を〔要素3-a〕,後者を〔要素3-b〕とする。)。

 なお,〔人間による支配〕における強制的な要素に関して,本文に「自然は,みずからの姿にあわせて人間が仕立ててくれたこの囚衣をこばむはずがなかった。」,「この身にぴったりと合う囚衣を着せられて,自然は無邪気に満足し,この合理性の着衣を誇りにすら思うようになった。自然は人間に対して忠誠を誓い,人間に対して喜々としてその合理性の姿を示し」たという記述があるものの,両文の間に「自然は人間の巧妙な檻穽(わな)にかかったのである。」とあり,筆者は,〔人間による支配〕のいわば自然による受容について,健全なものとは観念していないと解されるから,同要素が欠かれるとはいえない。第3段落における「征服」「支配」「屈服」「圧政」という表現も参照すれば,このことはいっそう明らかである。

 (5) 解答化にあたり,表現を吟味する

 第五に,以上の検討により,第二で問題提起した〔囚衣のような〕の内容が明らかになったので,それらを適切な表現に整えて,第一で特定した〔(囚衣のような)「合理性」〕という大枠に代入することとする。上記の解答では,〔要素2〕と〔要素3-a〕については,〔人間による「支配」を演出する〕という最小公倍数的な表現で端的に記述することとした。また,〔要素3-b〕については,第5段落を参照して,自然の〔アイデンティティ〕として「非合理」を特定し(この点は,小問2=第三で論じたとおりである。),端的に〔自然の「非合理」を隠蔽する〕とした。

 小問3は,小問2と同様に「合理性」が主題となった(なお,小問3は「自然そのもの」についての記述にかかるものであり,視点は異なる。)。そこで,両小問の解答を比較してみるに,各解答の前半と後半がきれいに対応していることが分かるだろう(小問4で論じる内容を踏まえていうと,前段は〔虚構〕,後段は〔皮相〕に関わるものである。)。

 (6) 解答に含めなかった点が要素にならないことを確認する

 第六に,第4段落前段で,「合理性」について,〔人間が自然の規則的事象を基に体系化して作出した〕という情報が開示されているところ,傍線部ウを含む「みずからの姿にあわせて人間が仕立ててくれたこの囚衣」,直後の「この身にぴったりと合う囚衣」という表現をみるに,同情報は,いわば〔オーダーメイドである〕という意味合いで述べられていること,さらに,第4段落において,「合理性」は〔オーダーメイドの囚衣〕に喩えられていることが分かる。そして,〔囚衣〕が一般的にレディメイドであることを踏まえると,〔オーダーメイドである〕という情報は〔囚衣〕に付加されたものといえ,「囚衣」それ自体では,「合理性」について開示された〔オーダーメイドである〕という主張を要約・強調することはできない。しかるに,傍線部ウを含む「みずからの姿にあわせて人間が仕立ててくれたこの囚衣」において,傍線は「囚衣」のみに引かれ,小問3では,これについて,何の比喩か問われている。そうすると,〔オーダーメイドである〕という情報は,小問3の解答の要素としないのが,題意に沿うものといえる。

 なお,かかる理解を前提に第四について付言するに,第四で参照した傍線部ウの直後の記述は,〔オーダーメイドの囚衣〕という比喩から導かれる主張の展開であり,〔オーダーメイドの〕という要素に由来する点を意識的に区別・無視する必要がある。上記の解説では,まず〔囚衣〕の性質を考え,そのアイデアをもって本文に戻るというプロセスを経たため,この点が顕在化しなかった。

4 採点基準等

 (1) 難易度

 小問3の完答は,「囚衣」という比喩がその前後との関係で二様の機能を果たしていることについての気づきを要するところ,これには,比喩という事柄と本文の展開を相互に参照する姿勢を要する。

 また,特に「囚衣」を主張の展開に活かすという二つ目の機能については,〔類比〕についての知識を前提とする点で高度である上,解答を導くための直接的な手がかりが乏しく,解答者の言語的感性,関連分野に関する識見を動員して,虚心に読解する労を要する。

 よって,難易度は「難」とする。

 (2) 採点基準

  • 〔要素1〕「囚衣」は,〔囚衣のような合理性〕の比喩である。(2点)
  • 〔要素2〕抑圧的な処遇において強制的に付加される,囚衣らしさ(3点)
  • 〔要素3-a〕権力的な作用を維持・強化する装置という,囚衣らしさ(1点)
  • 〔要素3-b〕アイデンティティを剥奪する,囚衣らしさ(2点)
  • ※〔要素3〕については,別解があり得る。

5 評釈

 (1) 「東大現代文の王」氏の解答

 自然を支配するために自然の周期性や反復性を基に人間が仮構した合理性。

  • 〔要素1〕は,押さえられている。
  • 〔要素2〕は,押さえられている。
  • 〔要素3〕は,押さえられてない。なお,〔要素3-a〕でいう〔装置〕性は,手段的な機能にとどまらないダイナミクスであり,「自然を支配するために」という目的意識とは,直接に関わらない事柄である。
  • 「自然の周期性を基に人間が仮構した」という部分が小問3の解答の要素を含まないのは,第六で論じたとおりである。
  • よって,「5点」である(8点満点)。

 (2) 「ゆっくり法律」氏の解答

 合理性という組織は,人間が自然を支配するために,自然が外見上示す周期性と反復性を一定の体系の枠の中に拾い集めて編み出し,自然に押し付けたものであること。

  • 〔要素1〕は,押さえられている。
  • 〔要素2〕は,押さえられている。
  • 〔要素3〕は,押さえられてない。小問3についての「ゆっくり法律」氏による解説は次の引用のとおりであり,氏において,比喩を単なる言い換えと同視していることが分かる。本稿の解説及び採点基準は,上記のとおり,これとは異なる立場を採る。

 論旨と重ねて考えれば,「囚」とは「自然が人間に支配されたこと」を意味し,「衣」とは人間が作ったもの,ここでは合理性を指すことが分かります。したがって,解答には「囚」の要素と「衣」の要素をそれぞれ書けばいいです。

「ゆっくり法律」氏

  • 「組織」,「自然が外見上示す周期性と反復性を一定の体系の枠の中に拾い集めて編み出し」という部分が小問3の解答の要素を含まないのは,第六で論じたとおりである。
  • よって,「5点」である(8点満点)。

第5 小問4

1 問い

 「文明という虚構を築きあげたのである」(傍線部エ)とあるが,これはこの文章の論旨とどのように関わっていると考えられるか,説明せよ。

 なお,解答枠は2行とのことである。

2 答え

 自然の「合理性」は皮相な虚構であるとする論旨を受けて,それに基づく文明についても批判的に検証されるべきことを示唆している。(61文字)

3 答えに至る思考過程

 (1) 論旨を把握する

 第一に,「この文章の論旨」を把握するべく,ここまで各小問の要素として特定した点を振り返り,また,第6段落第2文の主張(この点は,後述する。)を補い,それらが構成する本文全体の論理の流れを整理すると,以下のとおりである(各事項は,付した数字を用いて〔1〕のように表すこととする。また,参照先を付した。)。

  1. 「非合理」は「合理化」が絶対に不可能。(cf.小問1=要素1)
  2. 「合理性」は,完全性という観念が関わる。(cf.同=要素2)
  3. 〔1〕〔2〕より,「非合理」は「合理性」の欠陥を暴露する。(cf.同=要素3)
  4. 自然の「合理性」(cf.小問2=第六)
  5. 〔4〕は,〔人間による支配〕に由来する。(cf.同=要素1,小問3=要素2)
  6. 自然は,本来,〔3〕のような「非合理」である。(cf.小問2=要素2)
  7. 〔5〕だから,〔4〕は虚構である。(cf.第6段落第2文)
  8. 〔6〕だから,〔4〕という虚構は,皮相である。(cf.第6段落第2文)

 なお,「合理化の未完成」にかかる小問1の解答の要素は,小問1の問いの形式から解答の要素となったにすぎず,「合理化の未完成」自体,「非合理」について説明するために導入された概念にすぎないから,取り上げなかった。

 また,「囚衣」の類比にかかるものとして特定した〔小問3=要素3〕は,〔皮相〕に関わる第5段落につながる自然な流れを導入する役割を果たすものであって,それ自体として論理の流れを構成するわけではないから,取り上げなかった。

 第二に,第6段落第2文について補足する。「それ(注:自然)が人間の眼に見せている規則性や合理性は単なる表面的な仮構にすぎない。」とある。ここには,小問1~3の検討結果を踏まえれば,解答の要素として抽出した内容が構成する論理の流れの終着点として,上記〔7〕〔8〕の主張が示されていることが分かる。これこそが,本文における筆者の主張といえる。上記の整理は,かかる理解を示した。

 「表面的な仮構」が核心である。ここには二つの要素がある。一つは,自然の「合理性」が〔虚構〕だということ(なお,仮構と虚構は同義である。),もう一つは,「合理性」という〔虚構〕は「表面的」,すなわち〔皮相〕だということである。虚構であるからといって皮相とは限らないから,両者は独立の事柄である。上記の整理では,前者を〔7〕として,後者を〔8〕とした。

 第三に,上記の整理に含めなかった以下の事項についてみるに(各事項は,付した数字を用いて【1】のように表すこととする。),〔【1】【3】については,〔7〕〔8〕という主張を導くにおいて不要である(特に【3】については,第二で〔小問3=要素3〕について論じたのと同様である。)。【2】については,参照先をみるに,具体的事象についての〔4〕のことだと分かり,〔4〕に包含されるといえる。【4】については,第5段落第2文で「第一,自然が存在するということ自体が非合理以外のなにものでもない。」と提示されており,「第一」という副詞をみれば,〔6〕の根拠を例示するにすぎないことは明らかである。〕といえ,いずれも問題ない。

  1. 「非合理」は〔3〕なので,不安を惹起する。(cf.小問1=第四)
  2. 自然の「規則性」(cf.第4段落前段・第5段落)
  3. 「合理性」は〔オーダーメイド〕である。(cf.小問3=第六)
  4. 自然は,偶然に存在する。(cf.第5段落)

 (2) 論旨を確定する

 第四に,第2段落第1文に「そこで,現代という時代が科学の名のもとに絶対的な信仰を捧げている合理性が,はたしてそのような欠陥を含まぬ完全な合理性でありうるのかということが,あらためて問いなおされなくてはならないことになろう。」という問題提起があり,第2段落後段以降をみれば,「現代という時代が科学の名のもとに絶対的な信仰を捧げている合理性」が上記〔4〕であることは明らかである。同文は「そこで,…ことになろう。」と第1段落を受ける形になっているが,第1段落において指摘されている〔3〕は「合理性」一般にかかるものであり,〔4〕という具体的な「合理性」を選択して論じることにかかる内在的な契機はない。そうすると,特に〔4〕について問題提起がなされたのは,〔4〕について「現代という時代が科学の名のもとに絶対的な信仰を捧げている」という文脈があるからこそだと分かる。

 もっとも,第2段落第1文以降,少なくとも傍線部エの直前に至るまで,「現代という時代」やその「信仰」については,筆者による直接的な態度表明は特になされていない。このことからすると,筆者において,上記問題提起について,必ずしも〔〔4〕を論じることを通じて,「現代という時代」等について何らかの主張を行う。〕という目的意識があったわけではなく,むしろ,〔〔4〕について論じることは,「現代という時代」等という関心事について考えることと深く関わる。〕という認識のもと(なお,「現代という時代」等が論じるに値することは,筆者において,当然の前提とされている。),〔4〕について議論を始める契機として,上記文脈を設定したにすぎないと解される。よって,本文の論旨に,〔「現代という時代」等について,批判を加える。〕といった内容を加えるのは,不適切といえる。

 したがって,〔本文の論旨〕は,〔7〕〔8〕で尽きているといえる(前者を〔要素1-a〕,後者を〔要素1-b〕とする。)。端的にいえば,〔自然の「合理性」は皮相な虚構である。〕というのが〔本文の論旨〕である。

 (3) 傍線部を読解する

 第五に,傍線部エに「文明という虚構」とある。この点,〔文明〕は,人間による営為に由来する点で「合理性」と共通するが,「合理性」が自然の性質として観念され,真理として認められるものかどうか判断される事柄であるのとは異なり,そのような判断が妥当するような事柄ではない。また,本文において,「合理性」と〔文明〕を対応づけるような根拠は,特に示されてない。そうすると,〔文明〕が「虚構」として提示されたのは,〔文明〕について〔7〕に対応するような理解,すなわち〔文明があるように思われているが,実際にはない。〕という理解を新たに示す趣旨ではないと解される。つまり,ここでいう「虚構」は,〔7〕でいう〔虚構〕とは違うのである。

 この点,第四で言及したとおり,「現代という時代」等が論じるに値することが,筆者において,当然の前提とされていることを踏まえるに,ここでいう「虚構」は,〔文明〕に対する,いわば〔レッテル貼り〕と解するのが相当である。すなわち,〔文明〕を「虚構」とした趣旨は,表現上,「合理性」について「あらためて問いなおされ」た結果であるところの〔7〕の主張との結びつきを導入し,もって〔〔文明〕も,「合理性」と同様に「あらためて問いなおされなくてはならない」〕という筆者の認識を示すことにあると解される(後記〔要素2〕と対応する。)。

 ちなみに,小問4は,予備校が出版する過去問集では,次の引用のような問いに改変されている*12。上記の理解からすると,ここでいう「虚構」は,「合理性」にかかる分析が適用ないし準用されるようなものではない以上,傍線部エの「虚構」自体について読解を求めるのは,問いとして満足に成立しないように思われ,疑問である。

 (四) 「文明という虚構を築きあげたのである」(傍線部エ)とあるが,なぜ「虚構」と言えるのか。本文全体の論旨を踏まえた上で,一〇〇字以上一二〇字以内で説明せよ。

 設問(三)・(四)は,現行の出題形式に合わせて問い方を改めた(傍線部自体は元問題のまま)。

 第六に,傍線部エをもって,上記〔本文の論旨〕が示された第5段落が閉じられていることからすると,〔文明〕も「あらためて問い直されなくてはならない」と考えられる理由・動機は,〔本文の論旨〕それ自体,すなわち〔自然の「合理性」は皮相な虚構である。〕という認識にほかならない(〔要素3〕とする。)。

 さらに踏み込んで,「合理性」についての同認識が,なぜ〔文明〕にかかる問題提起につながるのか,ここで観念されている両者の関連性について考えるに,第2段落第1文の「現代という時代が科学の名のもとに絶対的な信仰を捧げている合理性」によれば,「現代という時代」は〔科学〕を介して「合理性」と関わるといえる。しかし,〔文明〕と「現代という時代」は符合するものの,一致するとは限らない。科学が高度に発達した現代まで至らない,古代・中世・近代・近世においても〔文明〕が築かれていたことは,疑いようがない。そうすると,〔科学〕を介する形で〔文明〕と「合理性」を関連づけるのは,不適切といえる。

 そこで,傍線部エに戻るに,傍線部エの前に「その上に」とあり,「その」が指示するのは「自然の上に…はりめぐらせ」た「合理性の網の目」である。これをみれば,筆者としては,〔〔文明〕は,「合理性」の上に築かれている。〕と把握しており,かかる関連づけこそ,上記の理由・動機の核心といえる。上記の理由・動機を解答化するにおいては,かかる理解を織り込んだものとする。なお,同関連づけは,抽象的で,薄弱とも思われるが,上記〔本文の論旨〕を〔文明〕にかかる問題提起の契機とするというだけなら,それでも十分と考えられる。

 以上より,〔本文の論旨〕をもって〔文明〕にかかる問題提起の契機とするというのが,傍線部エの趣旨であると解されるところ,これこそが,小問4が問う,〔本文の論旨〕と傍線部エの「かかわ」りだといえるから,小問4の解答では,かかる理解を端的に示せばよい。

 (4) 「東大現代文の王」氏の解説について

 本文全体における位置づけとしては,傍線部エは,いわば〔付言〕に当たるものといえよう。この点,「東大現代文の王」氏は,次の引用のとおり小問の4解説を始めているが,本文の末尾にあるからといって〔結論〕であるとは限らない。

 まずは設問について考えます。傍線部のように結論づけられた理由を探します。

「東大現代文の王」氏

 同氏がそのように考えた根拠を探すに,解説の冒頭において,次の引用のとおり述べられており,どうやら出題意図の推理により,傍線部エが結論に当たると解したようである。かかる推理は,根拠がない憶測にすぎない上,小問4が傍線部エの趣旨をまさに問うていることを考えると,まったく不適切といえる。

 そして最後になりますが,筆者がこの本文を通して言いたいと出題者が捉えたのは,その上の人間の文明は虚構であるという部分であると考えられます。

「東大現代文の王」氏

4 採点基準等

 (1) 難易度

 「虚構」という表現は誤導的であり,〔文明〕と「合理性」の対比があるかのように誤解しかねないが,文意を咀嚼する姿勢があれば,そうではないことはすぐに分かるだろう。しかし,そのようなものとして割り切って解釈する方向に舵をきり,上記解説のように〔レッテル貼り〕の趣旨だと判断するのには,それなりに勇気が要る。

 よって,難易度は「難」とする。

 (2) 採点基準

  • 〔要素1-a〕自然の「合理性」は虚構である。(2点)
  • 〔要素1-b〕自然の「合理性」という虚構は,皮相である。(2点)
  • 〔要素2〕文明も問い直しが必要である旨,示唆されている。(3点)
  • 〔要素3〕〔要素1〕の問題意識が〔要素2〕の問題提起につながる。(3点)

5 評釈

 (1) 「東大現代文の王」氏の解答

 偶然性,非合理性が自然の本性であり,周期性,合理性という人間の仮構を前提に築いた文明も虚構で安心できないとしている。

  • 〔要素1-a〕は,「合理性という人間の仮構」とする部分で押さえられている。
  • 〔要素1-b〕は,「非合理性が自然の本性」とする部分で押さえられている。
  • 〔要素2〕は,押さえられてない。「虚構で安心できない」という指摘は,ピントがずれているの感がある。
  • 〔要素3〕は,押さえられてない。
  • 「虚構」という表現を用いているが,第五で論じたとおり,ここでいう「虚構」は「合理性」についていう〔虚構〕とは違うので,要注意である。本文で「文明という虚構」という表現がある以上,これを引き用いたにすぎないから,減点にはならない。
  • 「安心できない」とする部分について,「東大現代文の王」氏は,解説において次の引用のとおり述べているが,〔安心できない〕ということが,なぜ本文の結論に当たるといえるのか,十分に明らかにされてない。

 自然の本性が非合理であるために,人間が仮構した規則性から導いた合理性を前提に築いた文明も虚構であり,安心できないとの結論を出しています。これで解答の基本方針が定まりました。

「東大現代文の王」氏

  • 「安心できない」とする部分について,同氏の解説によれば,傍線部エを含む一文にある「一応の安心感」という表現の言い換えということだが,安心が一応のものであるということと,安心できないということが異なるのは明らかであり,不適切である。同氏の解説は次の引用のとおりであり,〔完全には安心できない〕という趣旨を「安心できない」と表現しているようである。部分否定と全部否定を混同するものであり,不適切である。

 例えば,外であなたが不審者に追われているときは不安ですよね,家の中に入って警察を呼んだら安心したと言えますか?言えませんよね。安心はできないです。かといって不審者に追われているときと比較したら不安とも言えません。家の中に自分は逃げることができて警察を呼んだわけですからね。このようなとき,私達は一応の安心感を抱いたと表現します。一応の安心感を抱いたとは,安心できないと表現できる意味が伝わったと思います。

「東大現代文の王」氏

  • 〔本文の論旨〕について「規則性」や「偶然」の言及が無用であるのは,第三で論じたとおりである。
  • よって,「4点」である(10点満点)。

 (2) 「ゆっくり法律」氏の解答

 一見合理的に見える自然の本質は偶然性・非合理性であり,それを人間は計り知る事ができない。しかし,人間は合理性という道具を作り上げそれを自然に押し付けることで自然を支配したと思い込み,文明はそのような表面的な仮構の上に成立する。

  • 「そのような表面的な仮構」とあり,これが「合理性」にかかることは読み取られるから,〔要素1〕は,押さえられている。
  • 〔要素2〕は,押さえられてない。
  • 〔要素3〕は,押さえられてない。
  • 〔本文の論旨〕について「偶然」の言及が無用であるのは,第三で論じたとおりである。
  • よって,「4点」である(10点満点)。

第6 跋

 総評

 本稿の契機となった本件「対決」について,各小問にかかる採点結果を総合し,4段階(優・良・可・不可)での評価を与えるに,次のとおりである。

  • 「東大現代文の王」氏 「15点」(34点満点)・「良」
  • 「ゆっくり法律」氏 「19点」(34点満点)・「良」

 両者が得点した解答の要素・失点した解答の要素は,小問1,3,4において全く同じであった。本件「対決」では,解答の要素という観点でみれば,ほとんど一致する解答が作成され,それは約半分の得点に値するものだったといえる。

 本稿執筆者が東大入試を受験した頃の経験を基に考えるに,「東大現代文の王」氏と「ゆっくり法律」氏の読解力・注意力は,いずれも標準的な東大受験生のそれと同程度と思料する。

2 おわりに

 最後まで読んでいただき,ありがとうございます。

 本稿は,本稿執筆者〔かるしふ〕において,東大現代文に本気で挑んだ最初の経験となりました。とても実りのある経験でした。「東大現代文の王」氏と「ゆっくり法律」氏のご両名には感謝いたします。

 本稿で示しました解答及び解説は,相応の根拠をもって構築した自負はありますが,特に合議を経たものでもないので,本稿執筆者の能力不足により誤りを含んでいる可能性が否めないのはもちろんです。読者の皆様(特に「東大現代文の王」氏と「ゆっくり法律」氏のご両名)におかれましては,本稿の至らない点について厳しくご指摘・ご指導いただけましたら,幸甚に存じます。

2023年9月19日 かるしふ

*1:本稿の執筆者は,「東大現代文の王」を名乗るアカウントによる投稿によって,本件「対決」の存在を知った。同投稿は,次のリンクから閲覧できる。https://x.com/HowtopasstheUTL/status/1699008746918412496?s=20

*2:「東大現代文の王」氏は,「ゆっくり法律」氏に対し,例えば,次のリンク先のような刺激的な引用ポストを行っている。https://x.com/HowtopasstheUTL/status/1698350727922647446?s=20

*3:「ゆっくり法律」氏は,「【完全保存版】予備試験超上位合格者が開発した東大現代文『究極の解法』」という刺激的なタイトルのブログ記事を公開しており(公開時の投稿が,次のリンクから閲覧できる。),これが「東大現代文の王」氏との刺激的な対話の契機となった。https://x.com/yukkuri_lawyer/status/1698236622100365617?s=20

*4:「東大現代文の王」氏の解答及び解説は,次のリンクから閲覧できる。https://x.com/vzPLPrSHuk19746/status/1700304711994482931?s=20

*5:「ゆっくり法律」氏の解答及び解説は,次のブログ記事で公開されている。1986年東大国語第1問『異常の構造』解説|ゆっくり法律(76期) (note.com)

*6:「東大国語研究会」氏の解答及び解説は,次のリンクから閲覧できる。https://x.com/utokyokokugo/status/1700121137676693729?s=20

*7:「東大国語研究会」氏によって,本問が公開されている(ただし,2つの小問については,予備校の過去問集では問題文が改変されているところ,本件「対決」では,改変前の問いが解答の対象とされた。本稿も,改変前の問いについて解答及び解説を作成した。)。次のリンクから閲覧できる。https://x.com/utokyokokugo/status/1700122344315052416?s=20

*8:「東大現代文の王」氏による,「ゆっくり法律」氏の解答についての評釈は,次のリンクから閲覧できる。https://x.com/HowtopasstheUTL/status/1700358433973899322?s=20

*9:現代日本においても,刑事施設における着衣の自弁は例外とされており,囚人服という制度は存続している(刑事収容施設法41条1号)。戦後日本の施設内処遇にも大きな影響を与えた国連決議である,被拘禁者処遇最低基準準則(いわゆるマンデラルール)においても,着衣の自弁は許可を要するという理解が前提とされている(同規則19,20)。

*10:類比については,認知心理学などの分野での学問的蓄積がある。手頃な参考文献として,鈴木宏昭『類似と思考』を推薦したい。本書を紹介する次のウェブページ「『松岡正剛の千夜千冊』1642夜」も参照されたい。1642夜 『類似と思考』 鈴木宏昭 − 松岡正剛の千夜千冊 (isis.ne.jp)

*11:囚人服という制度にかかる学問的蓄積について,本稿執筆者は寡聞にして知らない。本稿で示した見解は,例えば有名な心理学の実験であるスタンフォード監獄実験の知識など,関連する知識を動員して即興で想定したものである。

*12:本問の問題文については,脚注7に示したリンクから閲覧できる。